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オーストリア国民党(オーストリアこくみんとう、ドイツ語:、略称:)は、オーストリアの中道右派のキリスト教民主主義、保守主義政党。日本語では「オーストリア人民党」と訳される場合もある(こちらの方が原語の意味には近い)。オーストリア社会党(1991年にオーストリア社会民主党と改称)と共に、長らくオーストリアの二大政党制を担ってきた。 国際民主同盟に加盟している。現在の党首はラインホルド・ミッターレーナー (Reinhold Mitterlehner)。党のシンボルカラーは黒である。 == 歴史 == === 結党 === 第一共和制時代のキリスト教社会党の後身として1945年に結党された。その指導者の多くが前身政党の活動で有名な人々であったが、オーストリア社会党が戦前の「オーストリア社会民主労働党」の復活を明言したのに対し、国民党はキリスト教社会党との連続性を強調しなかった。教会との公式な繋がりは持たないが、しかし以前のキリスト教社会党と同じく、実践的なカトリック教徒からの支持が厚い政党であった。さまざまな構成員を代表していたことから、党の綱領は伝統的な家族の価値、財産権、農民の利益を強調しており、また非常に多様な社会福祉立法を受け入れていた。 戦後しばらくは社会党との大連立が組まれていたが、大連合の基礎をなしていた力のひとつは、両党の指導者たちが戦争経験によって結ばれていたということである。そして世代交代が進むにつれて、社会党と妥協することを好まずに一党政府を好む勢力が伸張した。それは社会党においても同様であった。 1960年代初頭、かつての皇太子オットー・フォン・ハプスブルクの帰国の是非をめぐって論争が起こった際には、王党派を支持層のひとつに抱える国民党としてはハプスブルク家寄りの対応を取った。それに対して社会党の立場は明確だった。オットーに財産を返還したり、入国を認めたりすることには断固反対の態度を示したのである。この問題で社会党との大連合は完全に壊れ、そして1966年3月の選挙の結果、国民党党首ヨーゼフ・クラウスが戦後初の一党政府を組織した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オーストリア国民党」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Austrian People's Party 」があります。 スポンサード リンク
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